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第三回ゲスト 榊原 大さん
1967年生まれ。4才よりピアノを始める。東京芸術大学在学中にG-CLEFを結成。
アルバム『Pell-Mell』(SONY Record)でレコード・デビュー。卓抜した音楽性・演奏力をベースにフュージョン・インストゥルメンタルのフィールドを開拓し、高い評価を得る。1990年、アルバム『五右衛門』で日本レコード大賞アルバム企画賞を受賞。7度に渡る全国ツアーや、インストゥルメンタル・バンドとして初のNHK「紅白歌合戦」出場を果たすなど、多彩な実績を残す。
バンド解散後も、その力強いピアノタッチとジャンル不問の卓越したセンスは、葉加瀬太郎、米光美保、石嶺聡子、ゴスペラーズ、中島美嘉・・等数々のアーティストのステージサポートやアレンジワークで発揮される。
2001年から本格的にソロ活動に取り組み、2007年11月にリリースされた「風色-kazeiro-」を含め5枚のオリジナルアルバムをBMG JAPANよりリリース。
また映画やテレビドラマ等、映像音楽も数多く手掛けており、2005年にはNHK連続テレビ小説「ファイト」で、テーマ曲をはじめ、全編にわたり作曲・ピアノを担当した。
bayFM、α-Statioin(FM京都)他、全国11局ネットの番組パーソナリティをつとめるなど、マルチな活動はますます広がりをみせる。
現在、テレビ朝日系列「ワイド!スクランブル」のテーマ曲が好評OA中。
公式hp http://www.motriz.net
冬城  : よろしくお願いします。
榊原  : まず初めに言いたいことは、この「榊原 大・携帯ストラップ」(※1)よろしくということですよ。
こちらは絶賛発売中!よろしくおねがいします。
冬城  : それはグッズなんですか?
榊原  : グッズです。グッズ!こちらを是非よろしくということで。
私の所属事務所「モトリス」の社運がかかっているので、“マジでよろしく”と書いておいてください。
冬城  : 安田社長はそのため今日こられるはずだったんですか?(笑)
榊原  : そうかも、よろしくお願いします。(笑)
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冬城  : それでは本題に。
まず、一般的な質問からさせていただきますと、かつて榊原さんがメンバーだった「G―クレフ」という芸大生バンド、弦楽のちょっと変わったスタイルのインスト・バンドが登場して、かなり一世を風靡したんですが、榊原さんにとって「G−クレフ」の存在はいかなるものだったんでしょう?
メンバーだった時の自分と現在の自分をどんな風に捉えられているのでしょうか。
榊原  : まあ、かなり一世を風靡してないですけど。(笑)
ありのまま書いておいてくださいね。(笑)
一世風靡してないですけど、面白いバンドだったと思うんです。
あまり深く考えていないんですけど、あれが自分のたどってきた音楽、ミュージシャンとしてたどってきたポイントではあったし、すごく大事な期間だったと思います。
けど、今は別にそんなノスタルジックな過去という風には思ってないですね。
冬城  : なるほど。音楽的な面ではどうですか?
榊原  : ふりかえると、4歳のころから音楽を続けてるんですけど、プロになって約20年間、今まで自分がたどってきたいろんな過去のことっていうのは、それぞれに意味があって、「G―クレフ」の時代もその内のひとつということす。
だけど、色々な経験が出来たのは大きかったかな。
冬城  : なるほど、自分の音楽人生の中で過程であるけれども、節目であったような・・・
榊原  : そうですね、節目ですね。
とにかく自分が音楽をやっていく上で、とくにビジネスにする上で、CDを出したりライブをしたり、それからTVにでたりとか、そういうしくみとかシステムっていうのをまったくしらない学生だったわけで、それを1回づつ経験して行くってことは、ものすごく勉強にもなったし、スキル・アップにもなった。
LAでレコーディングできたのも「G―クレフ」以来今でも1回もないので、それもすごく自分にとって大きい事でした。
冬城  : 「G―クレフ」はインストゥルメンタル・ミュージシャンにとっては、ものすごく大きな存在ではあったと思いますよね。
というのはCDの売れた枚数も桁外れだったし、ビルが建つような枚数がでているわけなんで。
榊原  : いや、ビルなんて建たないですよ。
冬城  : レコード会社をやってるもんで、建つか建たないかは大体わかるんですよ。(笑)
榊原  : いや〜建たないですよ。全然。(笑)
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冬城  : ところで、今回新しいアルバムを出されたんですけど、これに関することを色々とお聞きしたいのですが、今回で5枚目ですか。
榊原  : そうですね。サントラを入れると6枚目ですね。
冬城  : それぞれ色々な思いで作られたと思うのですが、他のインタービュー記事などを拝見いたしますと、3枚目までは、だいたい同じ様なスタンスで作ってこられて、4枚めの「Piano+」からちょっと変えたというように答えてらっしゃるんですが、私から見ると2枚目以降もそんなに変わった印象がなくて、いわゆる「榊原 大」の本来の世界、そういうものをずっと追いかけてる印象が非常に強いですね。
榊原  : それは常に、そうなんです。
結局、自分の音楽性とかスキルは1ミリずつ進歩してるのかもしれないけれど、持ってる人間性と音楽性はそんなに変わらないと思うんですよ。
自分のなかで4枚目以降変わったっていうのは、出来上がりの音じゃなくて自分の精神的な部分ですね。
冬城  : なるほど、そこらへんをお聞かせ下さい。
榊原  : 自分が音を発表する時は、たぶん、そのときの周囲の状況も分かるし、自分の才能のレベルとか、自分の作品のレベルっていうのも、自分で見えてる範囲で、どうしてもわかってしまう。
さらに言えば、みんなそうだと思うけど、他の人の作品と比べるわけじゃないですか、頭の中で。
冬城  : そのとおりですね。
榊原  :
3枚目のアルバムまではプレッシャーがあったんです。
CDの売り上げ枚数とかではなくて、もっとクオリティーやクリエイティブなところで自分はどこに行きたいのか、どこに場所があるんだろうってすごく思考錯誤したり、悩んだりして、今でももちろん悩んでるんですけど、3枚目まではそんなすごい重圧というか、プレッシャーがありました。
自由に音楽をやりたいっていう一方で、オファーがあって作品を作るということがあるわけです。
その作業はけして嫌いじゃないんだけど、3枚目まではすごく邪魔するなにか壁があって、バランス的にいえば壁の方がものすごく高かったんですよ。
4枚目の時は、出てくる音は一緒なのかもしれないけれども、その壁に対して開き直り度が強くなったっていうか、ずいぶん楽になりましたね。
冬城  : これ、ものすごく失礼な質問なんですけれども。
榊原  : 全然いいですよ。
失礼な質問、全然オッケーです。
冬城  : アルバムを改めて全部聴かせて頂いたんですが、私が榊原さんのアルバムのなかで最も優れていると思うのはニュー・アルバムより2枚目のアルバムです。
その中でも「遠くからの星」という曲が特にいい。
榊原  : ああ、そうですか。
冬城  : ええ、私から見ると、これはもう正に名曲中の名曲というか・・・
榊原  : ゲッ、あんまライブでやってないですけどね。
冬城  : と思います。
ご本人はそんなに気に入ってないかな、という気がしますよね。
榊原  : 実はその曲は逸話がありまして。
わりと俺、明るい曲書くのすごい苦手なんです。
どうしても自然に素直に書いてると暗い曲ばっかりになっちゃう。
何でかしらないけど、自分が暗いとは思わないけどね。
その時も事務所やレコード会社のスタッフさんたちとディスカッションしてて「遠くからの星」は明るくて、キャッチーに書いてみようと。
ビジネスを意識して書いたわけじゃないけど、ポピュラリティーを考えて、すごく絞り出して書いたんですよ。
絞り出して書いたってのは、がまんして譜面に向かったんじゃなくて、何とかそういう曲を書きたいな、と思って書いたんです。
そんな時に長男が生まれたんですね。
子供のために・・・なんていう意味じゃ決してなくて、子供が生まれたことによって、その心境を書こうと思って。
そしたら明るい曲が書けるかなって思ったんです。
・・で「遠くからの星」をいざレコーディングしようということになったとき、やっぱりこれ、ちょっと恥ずかしいなって思い出しちゃって・・・。
なんだか知らないけど、ちょっとテレがあって、安田さんもわりと俺と同じ意見で、「いや〜大にしては・・・お前、この曲ちょっと無理して書いたんじゃないか」って言われたんです。
たしかに無理したかもしれない。
だけど、子供っていう動機付けもあるし、この曲せっかく書いたんだから、思い切ってアルバムの最初の方に入れようって俺が言ったんですよ。
アルバムって1・2・3曲目って割と重要じゃないですか。
そしたら安田さんは「これは、もっと後ろでいいよ」と、10曲目ぐらいに入れようって言ったんです。
それから喧喧諤諤あって、結局3曲目に入れたんですよ、そしたらこの曲が、スポーツ番組のテーマ曲に決まって・・・。
それで、「あ〜 やっぱりそういうことなのかな」って。
人が良いなって思ってくれるのは必ずしも自分の思ってるのとは違うのかなと。
冬城  : プロデューサーの立場として言わせていただければ、全くその通りだと思うんですよ。
2枚目のアルバム「Tomorrow」の帯にピアニスト「榊原 大」の素晴らしさを書いてあるんですけど、ピアノっていうのは繊細な細かい音符の曲もいいんだけど、こういう長い音符で透明感があって、遠くまで響かせるメロディーを創るのは難しい。
これが、テクニカルな意味でも見事に表現されてるということが一つと、メロディーがすごく親しみやすいというか、分かりやすいというか・・・こういう曲ってなかなか書けない。
インストもので絶対必要なものだと思うんですね、歌詞が無いから。
もう一つ、すごいな、さすがだと思ったのは、3枚目の「As for You」というアルバムの中のフリードリヒ・グルダ(※2)の曲ですよね。
このクラシックの猛烈なテクニックの曲を入れたというところに“榊原 大らしさ”があると思いました。
クラシック以外のCDを作る人って、普通、こういう曲をあまり入れないと思います。
しかし、これだけのテクの曲をさらっといれてしまう。
榊原  :
いやいや、テクは全然ないですよ。
いやいや〜テクはもう全然ないですよ。
冬城  : まあ、皆さん謙虚な方はそうおっしゃるんですが。
榊原  : なんのジャンルでも上手い人はいて。
冬城  : そうですね。
かつてはあのジョルジュ・シフラ(※3)のような、いわゆるサーカスのピアノといわれた人も過去にもいたわけで。
じゃあ、そういう人が全部素晴らしいかというと、けしてそうではない。
榊原  : そうですね。
だから、子供が逆上がり出来るようになりたいと一緒で、音楽家である以上、ピアノがうまくなりたいっていう単純な欲求ってのはすごく大事で、一生持っていたいと思うんだけど、それを僕は、作品を発表するときの学習の延長にはならないようにしたいと思ってます。
“習いごと”の延長であるうまさは人を感動させないんじゃないかなぁ。
冬城  : そのとおりですね。
榊原  : やっぱりうまいっていうのは、そういうこともひっくるめてスキル・アップしていく事だと思います。
冬城  : こういう素晴らしい演奏もありますから。(As For Youの8曲目「Play Piano Play Y」を指差して)
榊原  : いやいや全然素晴らしくないですって。
ここはちゃんとはっきり書いといてくださいね。(笑)
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冬城  : 次に、壁を乗り越えた4枚目の「Piano+」のことですけれども、私の印象では開放的になった分アクがぬけたように思います。
「遠くからの星」のような榊原節がもっとあったほうがいい。
このアルバムには「ファイト」のテーマとか、名曲がいっぱい入っているんで、好きなアルバムではあるんだけど、私は2枚目のアルバムが断然好きです。
壁に囲まれた「榊原 大」のほうが。(笑)
アクの強いものってうまくいけば売れるんですよね。
榊原  : でも「遠くからの星」ってアク強くないですよね。
冬城  : いや、アクという表現がよくないね。
貴方らしいというか、貴方のメロディー・センスが、ズバリでたのが「遠くからの星」なわけで。
私個人としてはすごく好きなわけですよ。
この曲を聴いていると“希望”とか“光”とかが見えてくるようで・・・ 私はそういうふうに感じましたね。
さて、少し話題を変えて、最近、富士山に登られたそうなんですが、自然との関わりは、音楽の中にいっぱい出てくるんですが、榊原さんのアルバムの中に「風」という言葉がよく出てきます。
ニュー・アルバムのタイトルも、今回は「風色」です。
なにか特別な思いがあるんですか。
榊原  : 実は、これはちょっと話すと長くなるんですけど、僕はまず自然に対して、どうこう言える立場ではないし、自然に関してものを語るんだったら“実”がないといけないと思うわけです。
で、僕は、実際に東京都内に暮らしていて、今はここ以外住もうとは思わない。
機械に囲まれて、文明に囲まれて生活し、普段なにか自然に対する活動しているかといったら、そんなこともない。
そういう意味で、自然破壊を止めようなんて一言も言える立場じゃないし、言おうとも思わないわけですよ。
僕の芸大の友人が北海道に住んでるんですけど、ほんとに「北の国から」(※4)みたいな生活をしてるんですよね。
自分で家を建てて、土と木で家を建てて、冷蔵庫は外だし、トイレは自分で簡易トイレを作って、つまり全部ゼロから作って、林業と主婦業やっているやつがいるんです。
そいつは牛肉を食う人間の行為は、牛を育てるのに牧草を開発しないといけないから自然を壊す。
鹿って言うのは森に住んでるから自然を壊すことをしない。
だから、人間はもっと鹿肉を食うべきだっていう考えなんですよ。
冬城  : すごいですね。
榊原  : で、そこまで言ってるやつの話を聞いたら、僕は自然なんか絶対語れないと思う。
そこまでいって初めて自然との共存だといえると思うんです。
自然は好きですよ、僕はキャンプもやるし。
ただそれは、完全に疑似体験として、バーチャルとしての自然の愛し方で、自然に対してなんか分かってるかといったら、分かってない。
しかし、身近なところの“実”の部分で、ドラムの小森啓資っていう友人がいるんですけど、彼は最近マイ・スティックを持ち歩いてるんですね、自分の箸を。
冬城  : ああ、箸ね。
ドラムのじゃなくて。
榊原  :
子供から「風はどっからくるの」って聞かれたんです。
ご飯食べるときの箸。
彼は、割り箸を何本か作るためには白熊1頭の環境が破壊される・・・という話を聞いて、じゃあ、お弁当の割り箸とか、コンビニに行ったとき割り箸をもらうのを止めようって決めて、自分の箸を持ち歩くようにしたらしいんです。
個人レベルで出来ることを考えて始めるっていうのは大賛成ですし、僕も考えていかないといけないと思うんですけど、一方で、ハイオクのガスを撒き散らす車は買うわ・・・ (笑) そういうことをひっくるめて、僕はまだまだ自然を語れないと思います。
ただ、「風」が好きかっていう質問になると、その言葉が好きなのかな。
「風の行方」っていう曲があるんですけど、そのタイトルも、また子供の話になっちゃうんで恐縮なんだけど、風の強い日に息子と一緒に散歩してて、彼が、「風ってどこからくるの?」って突然聞いてきて・・・。
2歳ぐらいのときかな。
冬城  : すばらしいですね。
榊原  : 「風」ってどこからくるの?と聞かれて、その時、一生懸命自分なりに答えたんだけど、子供ならではの“何気ない言葉”にすごく触発されて、どっからくるのっていうのと行方っていうのはちょっと意味が違うけど、そこからあの曲がインスパイアされました。
「風」っていう言葉の響きが好きですね。
あと、自分もなんかこう「風」とか「水」とかのように漂っていたい、という感覚があるんです。
僕、北野 武さんが好きなんですけど、武さんが、 「映画監督やったり、タレントやったりしてるけど、あんまりそれに対して夢もいだいてないし、希望もない。
だけど、嫌々やっているわけじゃない。
自然にやってたらここまできた」「“魚はなんであんなに上手に泳げるんだろう”ってことは、人間が考えたことであって、魚はなにも考えてないよ」って言っていた事があって、すごい理想だなって思って。
それが宿命じゃないけど、それこそ、自分が音楽をずっとやってることにパワーをそんなに使わないでも自然にやれてたり、そんなに深く考えることなくやってこれた人生って、一番かっこいいなって思うんです。
それが僕にとっては、なんか「風」とか「水」とか、そういうサウンズとイコールなんですよ。
冬城  : なるほど、すごくいいお話ですよね。お酒で「上善水の如し」なんていうのがあるんですけど。(笑)
榊原  : 「上善水の如し」まさにそういうことかも。
冬城  : その言葉は、元々は、中国の哲学者の言葉なんですけど、水は下に流れ、自然で、自由で、誰の制約も受けない。
それでいて、すごく人から必要とされてるものであって・・・・貴方の音楽もそうだと思いますよ。
先ほどのお話に戻っていくようですが、榊原さんの音楽って奉仕的な部分が一部分にあったほうが、私は、いいものができるのではないか、と考えています。
人から請われて、頼まれて出来たもののほうが・・・ 自由にやることは、我侭に、好き勝手にやることと紙一重で、自分の趣味を押し付けることにもなりかねない。
音楽は皆のものだと思うんです。
売れてきたり、偉くなるとだんだん「聞かしてやるぜ」風なことがおきる。
これは音楽業界に関係なく、思い上がると必ず報いが来ますね。
巷を騒がしている数々のニュースが証明しています。
私の考えてることが正しいかは別にして、いろんな人の意見を聞いて創り上げたものの方が、市場というか、皆に受け入れられて、自分がこうだと思ってやっていたものが意外に一部の人にしか受け入れられてないことが多いような気がします。
榊原  : そうかもしれません。
それも結構せめぎ合いで、実際、今回のアルバムに関しては自分のファンの顔がものすごく浮かびました、今までになく。
「ぴあ」という情報誌をみるといつもげんなりするんだけど(笑)スポーツがあって、舞台があって、演劇があって、娯楽がたくさんあって、そんな中のたった一部の音楽というジャンルだけでもアーティストが山のようにいて、さらに様々なジャンルに枝分かれして、その中でたとえマイノリティーでも「榊原 大」のライブに来てくれるというのはやっぱり嬉しいし、有難い。
そういうことをやっと考えられるようになって・・・ 今までは、自己へ自己へっていうタイプだったんですよ。
それがやっと色々なことを考えられるようになった。
それでも、じゃあ売れるということを何か考えて創るかっていうと全然そういう気持ちは少なくて。
まあインストゥルメンタル・ミュージックなんてやってる段階で売れるとか売れないとかいう世界ではないんですけどね。
冬城  : まあ、売れるというのは結果論ですけどね。
私の哲学では、良いものを作れば売れる、ということではないかと考えています。
榊原  : いや、でも僕の考えでは、良いものを作れば売れるっていうのはちょっと違うんですよ。
これは僕の考えですけど、音楽だけじゃなくて、まず、だめなものは売れません。
それは、芝居でも映画でも音楽でも腐ったものは絶対売れない。
あと、良すぎるのも売れない。
そのバランス感覚が全てだと思うんですよ。
何事もそうだけどバランスって言うのがものすごく大切で、これまた僕が好きな鴻上尚史(※5)さんの言葉で「経済と文化、大衆と芸術という相反するもののバランスが、いつもせめぎあってる」といってて・・。
まさに音楽もその通りだなと思います。
冬城  : なるほど、基本的には私も同じ意見です。
ただ、良すぎるものは売れないという部分は、私の意見ですと、良すぎるものは、“今は売れない”と思うんです。
いつかその時代が来たときに必ず売れるだろう、そういうふうに思います。
これはちょっと早かったなとか、これはちょっと洗練されすぎたなとかね。
榊原  : 良すぎるものは売れない、駄目なものは売れないってのは、僕はそう思う、というだけです。
ただ、ビートルズとかバッハとか芸術性も凄くて大衆にうけてるものって実際にはたくさんあるし、それこそ、僕が言ってもなんの説得力もないですから。
冬城  : 榊原さんが言うと十分説得力があると思いますよ。
後輩にも影響を与えるかもしれないし色々波紋がおきて面白い。(笑)
榊原  : いやいや俺は、何にもいえる立場ではないです。
それ絶対書いといてください。
確実に書いといて下さい。(笑)
冬城  : なるほどね。
まあ、とにかく「風色」というアルバムいい出来だと思います。
榊原  : ありがとうございます。
冬城  : 「Hopeful Wind」というテレビでよく流れてる曲も入ってますし、今のインストゥル・ミュージックCDの中でお勧めの1枚です。
榊原  : 恐縮です。
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冬城  : 次にですね、日本のインストゥル・ミュージックについてお聞きしたい。
ちょっと仰々しい質問になるんですけど。
インストに限らずヒット曲といわれるものが、今、ほとんどない、といわれてる時代です。
いわゆる“集中と選択”という言葉があるんですが、売れる商品を選択し、それに集中していく、という戦略です。
しかし、反面売れなくなったものは切り捨てていく、というやり方をしていったが故の弊害で、今、音楽業界以外でも、色々なことがおきています。
切り捨てられるものは商品だけではなく、そこに関連している人間も同様に切り捨てられるからです。
私の知り合いがコロムビアにいるのですが、アメリカの投資会社リップルウッドに買収されてから、予算は削られるわ、さらに大変になったという話も聞いています。
日本人という民族は色んな意味で職人だと思ってます。
音楽家や演奏家はまさしく職人です。
職人気質、そういうものを育てもしなければ探しもしない、既に売れているものを更に高額なお金で競り落とすようなビジネスが正しい、といわれて何年か経ちました。
過去の時代は、逆で、親分みたいな経営者がいて、道端であったような奴に「お前、俺の会社のディレクターやってみろ」というような、馬鹿みたいな人がいたんです。
かつてはポール・モーリアとかレイモン・レフェーブルとか、オーケストラがインストのヒット曲を飛ばした時代があった。
ご存知かどうか分からないんですが、私がちょうど18歳ぐらいの時、日本においてもレコード会社3社競作の「エベレスト」(※6)というインストゥルメンタル・ミュージックのシングル盤が出た、ということがあった。
1枚だけ買い損ねて持ってないんですが、これです。
作曲者は同じ方で、著名なアレンジャーが競作をして、それぞれ違うアレンジで発売した。
全く同じ曲で、インストで、こんな実験的なことをやった時代があったんですね。
演歌ではよくあります。
「氷雨」なんて曲がこれにあたるんでしょうが、インストでもあったんです。
今、レコード会社はそういうチャンスなど与えてくれないんじゃないかと思うんですけども、こういう厳しい環境の中にあって、榊原さんとしてはどのようにしてこれを打破していこうと思っておられるのか、どういう位置でやって行こうとしておられるのか、そこら辺をお聞かせ願えればと思うのですが。
榊原  :
アーティストに力があれば遡及するはずです。
まず最初に、僕がその辺を語るのはすごく恐縮で、音楽ビジネスのこととか音楽文化、日本の文化についても語れるレベルではないっていうのを前提において下さい。
でもまあ、ここは飲み屋で酔払った勢いで話したと仮定して、インストゥルメンタル・ミュージックにしても、ヒット曲がない状況にしても、なんでかはわからないけど、例えば携帯電話にお金を使うようになったとか、色々言われてます。
巨人戦の視聴率が低くなったっていうのも、野球が人気がなくなったんじゃなくてサッカーを見る人が増えてきたとか、他の楽しみが増えて、その楽しみがいっぱいあれば、人間なんて色んな方向に行っちゃうわけだから。
CDを買うのがすごい楽しみで1ヶ月の小遣いを何枚かのCDに使ってた人が、たまたま他の方にもお金を使うようになったっていうだけだと思うんですよね。
じゃあ音楽のもつ力が減少したかというと、僕はそうは思わないし、人間が生きていく上ですごく必要であり、力があるものだと思うんです。
だけどインストを含めてヒット曲が生まれないのはなぜかといったら、僕は第1にアーティストのパワーが足りないからだと思ってます。
自分も含めて、それはもうアーティストの責任ですよね。
よく若者に色んな楽しみが増えたからCDが売れなくなったとか分析する人は一杯いるけれど、アーティストに力があれば絶対、遡及すると思うし、それは発信する側の責任だと僕は思う。
冬城  : 素晴らしいご意見ですね。
実は私もまったく同意見で、今回のインタビューにあたって色んな記事だとかホームページだとか、覗いてみたりしたんですが、いずれも、作り手側やスタッフ・サイドもろくなこと言ってないですよ。
去年は女性の時代だったとかなんだとかかんだとか、結果論の羅列だけです。
そんなこと皆知っていることであって、見る側から馬鹿にされるような意見しか出せない。
ただ一つだけ、この「マイスペース」という会社のマーケティングの方がちょっと良い事をいってたんですけど、榊原さんが言っていたことと基本は同じで、これから伸びていく音楽家たちっていうのは、 “Do−It−Yourself”セルフ・プロデュースに長けてる連中が必ず頭角を現してくる、とういうことを言ってるんですね。
これから2008年の音楽シーンはどうなるかっていう質問に対して2007年の混沌とした状態は続く、そして、その中で“Do−It−Yourself”のスタイルが重要視されてくることと、アーティストのセルフプロデュース力、アピール力が成功への大きなファクターとなってくるといってます。
要するに他のアーティストとの違いを見出すのに必要なのは、お金ではなく知恵を絞ることと、クリエイティブな試行錯誤であり、ある者はライブ、ある者はPR、ある者はビジュアルとそれぞれ持ってる自分の力の特性みたいなものをどうやって出していくかだといってます。
僕からみると、さらにそれを与えていく場所が、今までのような場所ではないような気がするわけです。
つまりそれぞれの音楽の提供する場所、それぞれに求められてる場所すら変わってきてると思うのです。
インターネットはもちろんこと、ライブ会場、それもライブ会場もこのライブ会場でないとだめというような。
雰囲気が違うことも選別の重要なファクターに入る。
そういう個人のポリシーによって色んな方向に分かれていくっていう時代だと思います。
いわゆる過去の媒体以外での音楽市場はむしろ複雑に拡大している。
セルフ・プロデュースに長けている人達が頭角を現してくるっていうのは当たり前で、頭角を現してきている人たちは、既にそういうことをずっとやってきた人たちなんです。
だから榊原さんの5枚のアムバムも自分の力で創ってきたものだと思うし、だからこれだけのことが出来てる。
それはその証だと思います。
なにも考えず会社の力にすがってやってきた人達ってのは、会社が見放したとき、市場から居なくなってしまう。
さらに思うには、セルフ・プロデユース力の中での戦いだろうし、若い人たちも追いかけてくる。
榊原  : いゃ〜どうなんでしょうね。
その辺も含めて、例えば、いわゆるプロデューサーといわれてる人たちは小室哲哉さんなり、つんくさんなり、松任谷正隆さんだったり、色んな人がいますけど。
彼らはどの程度、音楽のマーケティング・リサーチをしてやってるのかわからないけど、僕は全くしてないですね。
というのは、まず、自分にそういう能力がないって言うのと、興味もそんなにないんです。
だから、これからの日本がどういう音楽を皆が欲していくのか、どういうものが来年流行るのか、ということを考えたこともないし、考える能力もない。
まあ、あえて言えば流行なんて意外とシンプルで、繰り返しなんじゃないかって気もしてるんですよ。
人が好む音楽や残っていくものっていうのは、意外とその国のキャラクター自体と密接な関係があるから、音楽が流行る、食べ物が流行る、なんとかが流行るっていうのは、結局、戦後からはずっと同じなんじゃないかっていう気がしてます。
だから僕がかっこいいなって思うのは、もっと前ですね。
江戸時代とか・・・あのころの時代は、日本もかっこよかった。
なにか芸術に対しても一貫性があって、こだわりがあったと思うんですね。
絵を描くにしても、日本中が、これがかっこいい色だとか、そういうルールがあって、しきたりがあって、武士だったら着物きて、刀さして、家だって全部同じ形だったじゃないですか。
ある意味ヨーロッパっぽいと思うんですよ。
その伝統的なところが少なくなった日本っていうのは、そういう意味では、あまりかっこよくないし、オリジナリティもないし、枝葉の部分でなにか流行るのかなんて、あまり考えようと思わないし興味もないですね。
冬城  : 先ほど、「風」とか「水」のような生き方をされていて、そこから生まれた音楽は後人に影響を与えていくことは間違いない。
しかし、私は後人が影響をどこにもらってるのかなという、一種嘆かわしさみたいなもの感じるわけなんですね。
榊原  : 嘆かわしさっていうのは、僕も歳をとったから言うわけじゃないけど、「キーボード・マガジン」「ベース・マガジン」「ギター・マガジン」という雑誌があるんですけど、僕の学生の頃っていうのは楽器系の雑誌が一番売れてたんです。
だけど今は、楽器系の雑誌はあまり売れなくて、同じ出版社から出ている「サウンド・レコーディング・マガジン」とかが一番売れてるみたい。
ここでもうかなりゼネレーション・ギャップを感じるんだけど。
ということは、楽器小僧というものがすごく減って、音の作り方も、例えばピアノ一本で作ろうとかギター1本で作ろうという時代じゃなくなってきたからかもしれない。
だから、悲しいかな、僕らの世代の音と今の時代の音は、どっちがいいとか悪いとかじゃなくて、部分でも完全に変わっていくだろうし、全体を想像していくことは難しいと思うんですよ。
冬城  : なるほど。
榊原  : でもまあ、まず音楽はいいもんだと思うんですよ、すごい単純な言い方だけど。
音楽の持つ力ってすごいし、音楽の持つ力を実感できたり、みんなが感じられる世の中ってのはいいなと思います。
で、やっぱりそれは平和であるからできることであって、そういう世の中であるべきだと思うんですけど。
冬城  : ただ、私が考えるに、繰り返すようですが、榊原さんたちの次の世代のミュージシャンたちに、いわゆる美しいメロディー、軽快なリズム、心地いいハーモニーっていうような簡潔な才能がもっと生まれても良い頃だとおもうんです。
今のミュージシャンたちの存在を脅かすぐらいの連中が出てくると、業界も活性化してくると思うんですけど。
榊原  : いや、脅かす連中ばっかりですよ。
冬城  : そうでしょうか。
榊原  : ホントですよ、若い連中が出てきちゃって、もう。
冬城  : いやいや、もう少し脅かして欲しいですね。
さて、また質問をちょっと変えさせていただきます。
私がやってる「Dramatic Narration」という企画があるんですが、シャーロック・ホームズという役で出ていただいたことがありました。
榊原  : その節はお世話になりました。
失礼いたしました。
冬城  : いえいえ、巷では大好評だったんですよ。
榊原  : 嘘ばっか言わないで下さいよ。
冬城  : いやホントですよ。
演出家の高川裕也氏がなかなかいい俳優じゃないかと。
榊原  : え?俺のことを?
冬城  : そうです。
榊原  : その人、目が悪いんですよ、目と耳がお悪いんだと思います。
冬城  : 無名塾の松崎謙二が頭が上がらないひとに対してちょっと失礼かと。(笑)
榊原  : そうか、ギャグにでもしといてください。(笑)
冬城  : それで、その彼があなたのことをミュージシャンじゃなくて役者だと思ってたんです。
だからそういう言い方をしたんです。
で、役者の榊原さんが、俺はだめだとか、下手だとか、色々気にしておられたけど、私は、貴方を起用した事は大成功だと思ってますよ。
ぜひ次のシャーロック・ホームズもやっていただきたい。
榊原  : いやもう、さっきも言った開き直りに通ずるものがあるんですけど、もっと昔だったら僕は、人前でナレーションをやるということに関して何も“実”がないし、何も勉強もしてないし、いいのかって悩んで、結局断ったと思うんです。
でも、人生あと何年かしか生きられないし、よく考えれば、仕事をしてく上で一番大事にしてるのは“人”なんで、楽しい現場で、求めてくれる人がいるなら喜んでやろうと思います。
冬城  : なるほど、仕事は、来るものは全て拒まずやると。(笑)
榊原  :
“来るもの拒まず”です。
まあ、拒んでるものもあるんですけど。
“女性と仕事は来るもの拒まず”が人生のモットーです。(笑)
冬城  : ここは、絶対にカットしないようにしないと。(笑)
ところで、私は音楽を演劇的なものと組み合わせるということを良くやるんですが、なぜかというと、結局、音楽は非常に曖昧な芸術表現だと思ってるんですね。
例えば作曲家が、これは“海”を表現してると言っても聞いている人には全然そういうように聞こえないこともある。
榊原  : いや、もちろんそうです。
受け手と発信する側のアンテナの共通項を探していく作業ではありますね。
冬城  : 音楽は非常に曖昧なもの、曖昧だからこそいい部分もいっぱいあるんだけど、役者を配置して、それをより立体的に見せることにより、相乗効果を狙おうとしてこういう方法をとっているわけです。
私がこのような企画をやることに関して、榊原さんはどう思います?
榊原  : 冬城さんは、今までやってきた仕事に、あるいは自分がやろうとしてることに、今、“理屈付け”をしただけだと思いますけど・・・。
そうじゃなくて僕は、冬城さんはただ好きなんだって、思う。
冬城さんの歳でこういう分野で好きなことをやるってしんどいですよ。
ものすごいしんどいことも分かるし、僕が今日のインタビューで、最初に言った自分の才能とか周囲の状況とか、そういうところを人に見せるっていうのは、人前で裸になるようなものだし、ものすごいプレッシャーもある。
僕は、冬城さんが好きなこと実現しようとしているという姿勢が好きで、それに共感してるっていうか、 シンパシーを感じてて、やってて気持ちいいというだけです。
はっきり言ってこれが金になるからやるとか、そういうことじゃないじゃないですか。
冬城  : ほんとはそう思ってるんですけどね。(笑)
榊原  : もちろん、それはないといけないと思うんだけど、まあ、お金になるんだったら、いいマルチ商法かなんか研究したほうが早いと思うし。(笑)
映画とか音楽とかやらないで、あるいは、楽天とかライブドアみたいなことをやっている方が、今は、お金になるわけじゃないですか。
一攫千金もねらえるし。
だけど、自分の好きなことをしんどい思いをして実現させようというパワーが万々歳で、俺はそれだけでやってて気持ちいいですよ。
その中で僕のスキルが役立つのであれば、全力でがんばります。
冬城  : ありがとうございます。
実はその本音をお聞きしたくて。
榊原  : え・・。
冬城  : 心の中で、いゃ〜もうあんな訳のわからない企画はいいよとかね。(笑)
榊原  :
何かを好きってことは、ものすごく大事なことだと思う。
いやいや、何かを好きっていうのは真っ直ぐなことだし、俺も好きであることをやっていきたいし、その気持ちはものすごく大事だと思うんですよね、単純なことだけど。
それが全てだと思います。
冬城  : なるほど、最後でどっちがインタビューアか分からなくなっちゃたような感じです。(笑)
榊原  : はい。
冬城  : で、宣伝になっちゃうけど、7月19日(土)から20日(日)浜離宮朝日小ホールでDramatic Narration「エッフェル塔の潜水夫」というフランスの冒険ミステリーの公演をやります。
なかなか面白い話なんですけど、これは榊原さんに音楽監督と演奏をやっていただくことになっています。
私の企画なんで音楽はかなり贅沢に使おうと思ってます。
この間、演出家と話したんですけど、音楽いれたらたかだかナレーション・ドラマでありながら3時間もかかりそうで、大変なことになりそうです。
榊原  : いゃ〜でも、全力出しますよ。
冬城  : そうそう、絶対に長さを感じさせない面白い話だと思う。
皆さん期待してください。
さらにその2ヶ月後、ついに私のプロデュースで、「榊原 大」とオーケストラの競演が実現します。
榊原  : 「宿便」ですね。
冬城  : 「宿命」です。(笑)
ピアノ協奏曲「宿命」。
これを弾いていただくということは、羽田健太郎さんへの追悼みたいにもなっちゃうかもしれない。
榊原  : はい。
冬城  : 榊原さんからみたらちょっと先輩だし。
榊原  : 大先輩ですよ。
ピアノもダジャレも大先輩です。
冬城  : これは9月13日(土)ティアラこうとう大ホールでのオーケストラとの競演で、榊原さんの創った オーケストラ・バージョンの曲も含めて、色々やります。
指揮は啼鵬さんです。
これも実に楽しみな企画となっております。
よろしくお願い致します。
榊原  : 宜しくお願いします。
冬城  : 本日はどうもありがとうございました。
榊原  : ありがとうございました!
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インタビュー後感
昔から「名は体を表す」といいますが、まさしく「大」さんですよね・・・。
音楽家にしておくのはもったいない。
政治家の方があってるような感じです。
どんな小さなことも見逃さない鋭い感性、大局を見下ろす人生観、そして、けして無理せず生きているんですね。
いや勉強になりました。(冬城)
2008年1月 拙宅にてインタビュー
次のゲストは検討中です。
(※1) これはライブ会場でしか売ってないらしい。
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(※2) フリードリヒ・グルダ(Friedrich Gulda ,1930年5月16日 - 2000年1月27日)
オーストリアのピアニスト・作曲家。
バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンの演奏を特に得意とした。
ジャズ演奏でも知られる。20世紀を代表する巨匠ピアニストの一人である。
1960年代はイェルク・デームス、パウル・バドゥラ=スコダとともにウィーンの三羽ガラスと呼ばれた。
最初の妻との子パウル、2度目の妻・祐子(ジャズピアニスト/日本人)との三男リコはともにピアニスト。
日本に対しては妻が日本人だったこともあり、親近感を抱いていたことでも知られる。
フリードリヒ・グルダを論じるとき、様々な言い方がなされることがあるが、古きよき時代の伝統を受け継ぎつつも、新しい音楽の可能性を探る挑戦者だったということができる。
1970年代にジャズの演奏に転向しようとした(周囲の反対でそれは出来ず、クラシックとジャズの演奏を両立させる道を選んだ)のも、既存の音楽がつまらないというわけではなく、自分の学んだ古き音楽と新しい音楽の融合を目指したのである。
その証左として、彼のレパートリーは非常に広く、クラシック音楽にしてもバッハの平均律クラヴィーア曲集のような古いものから、ラヴェル、ドビュッシー、プロコフィエフまで多彩であったことが挙げられる。
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(※3) ジョルジュ・シフラ(Georges Cziffra, 1921年11月5日 - 1994年1月17日)ハンガリー出身のピアニスト。
超絶技巧で名高い。
ブダペストにてロマの家系に生まれる。
5歳のときに、居酒屋やサーカスで民謡を主題とする即興演奏を行なって有名になる。
ブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学し、エルネー・ドホナーニらに師事。共産主義政権下の祖国を嫌って、フランスに亡命した。
そのため、フランス語読みのジョルジュ・シフラという名で世界的に知られるが、元々はマジャル語でツィフラ・ジェルジである。
多くの録音は賛否に分かれ、その演奏について技巧的な曲に関しては、受け狙いで実質に乏しく、音楽的とはいえない、と論じる向きもある。
リストの技巧的な作品の絢爛豪華な演奏・録音でとりわけ名高い。
彼が二度にわたって録音を行ったハンガリー狂詩曲は名盤としてしられ、個性派の解釈でありながらもっとも親しまれている盤になっている。
すさまじい技巧を駆使した超絶技巧練習曲は賛否こそ分かれるが、ハンガリー狂詩曲集同様(あるいはそれ以上に)個性的な解釈でファンを虜にしている。
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(※4) 東京都から故郷の北海道に帰郷して、大自然の中で暮らす一家の姿を描く、雄大なドラマである。
連続シリーズの放映終了後、8編に及ぶスペシャルが放映された。
連続シリーズで、主人公となる黒板家3人の子役として「純」と「蛍」の兄妹を演じた吉岡秀隆と中嶋朋子は、その後の続編でも、父親役の田中邦衛とともに成長した彼らを引き続き演じ続けた。
「黒板」という苗字は、作者の若い頃の恋人の苗字から採った。
21年間に渡って放送されたが、制作スタッフの高齢化による定年退職や長期ロケによる高額な制作費などにより続編の制作が困難になってきたことから、
2002年秋に放送した『北の国から 2002遺言』をもって制作を終了した。
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(※5) 鴻上尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )愛媛県新居浜市出身の劇作家・演出家。
日本劇作家協会理事、日本劇団協議会理事を務めている。
早稲田大学法学部に入学し、演劇研究会に所属する。
在学中の1981年に岩谷真哉、大高洋夫らと劇団第三舞台を結成、旗揚げ公演として、ベケット作『ゴドーを待ちながら』と、当時流行していたルービックキューブをモチーフに『朝日のような夕日をつれて』を作・演出、大隈講堂裏の特設テントで上演した。
1985年1月紀伊國屋ホールで『朝日のような夕日をつれて '85』の上演を成功させ、同年早稲田大学演劇研究会を離れ劇団を会社化してプロ化へ乗り出す。
1986年の『デジャ・ヴュ’86』で初の大阪公演を行う。
小劇場ブームと相まって、チケット即日完売、大入り満員の超人気劇団へと成長を遂げる。
1994年に上演した『スナフキンの手紙』で、翌1995年には岸田國士戯曲賞を受賞。
1997年に文化庁の芸術家在外派遣研修制度でロンドンに1年間留学して俳優教育法を学ぶ。
帰国後活動を再開する。
2003年には新国立劇場制作で『ピルグリム』を再演した。
2005年には蜷川幸雄演出『KITCHEN』に俳優として出演した。
演劇活動のかたわら、1983年10月15日から1985年3月30日までニッポン放送のラジオ深夜番組「オールナイトニッポン(金曜深夜2部)」のパーソナリティを担当し、「日比谷公園でジェンカ」「裏コピーコーナー」など伝説とも言われる独創的なコーナーを生み出した。
番組内で「ドラゴンクエストが好きで好きでしょうがない」と発言したことから話が進み、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のエンディングとフィールドの曲をアレンジし、自ら作詞とボーカルを担当し、シングルレコード/CD『ヴォーカル版 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』を発売した。
このシングルはオリコンシングルチャートで初登場29位を記録した。
またコラムニストとしても、「週刊朝日」連載の「鴻上夕日堂の逆上」「鴻上の知恵」、「週刊SPA!」連載の「ドンキホーテのピアス」など長期に渡り執筆活動を続けている。
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(※6) 1970年1月にレコード三社から競作で発売された和製インストゥ−ル・ミュージック・シングル。
作曲は三沢 郷 編曲は青木 望(東芝)、郷 徹也(コロムビア)、小谷 充(RCA)がそれぞれ担当した。
ポール・モーリア・グランド・オーケストラの「恋は水色」の大ヒットに触発され、大手レコード各社がインストのシングル・ヒットを狙った企画である。
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